安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(4)

峯野龍弘牧師

第1章 主と共に歩む生涯への召命と献身(前回からの続き)

ところでアブラハムの生涯で、そもそも彼が主によってこの「主と共に歩む祝福の生涯」へと招かれたのは、いったいいつだったのでしょうか。それは彼がまだアブラハムではなく、「アブラム」と呼ばれていた頃のことでした。彼は父親のテラと共にカルデアのウルと言う地に住んでいました。年老いたテラは、妻の亡くなった後、息子アブラムとその妻サライ(後の名はサラ)、そしてアブラムの死んだ弟の息子ロトを連れて、長い間住み慣れたカルデアのウルの地を去り、カナン地方に移住することにしました。ところがその途上、ハランと言う地に暫く寄留している内に、テラは205歳の生涯を終えて亡くなってしまいました(創世記11:31~32)。

そこで主はアブラムに言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」(同12:1~3)と。実に、この言葉こそアブラムを多くの人々の中から選び出し、祝福し、尊い使命を与えて用いようとされたアブラムと「共におられる主」の、彼に対する「召命の言葉」でした。この時、アブラムは何一つ躊躇することなくこの「主の言葉に従って旅立った」(同4)のでした。それはアブラム75歳の時の出来事でした。ヘブライ人への手紙の筆者は、この時のアブラム(アブラハム)の信仰を称讃して、「信仰によって、アブラハムは・・・これに服従し、行き先も知らずに出発した」(ヘブライ11:8)と記しています。

しかし、それから24年後の彼の99歳の時のことでした。主は、アブラムが全生涯を通じて「共におられる主」に全く従い続け、全能の主と共に歩み、その約束の大いなる祝福を受け継ぎ、永遠に至るまで、全世界万民の祝福の基となって欲しいと願われました。そこで主は彼に更に次のように言われました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」(創世記17:1~2)と。のみならず続いてこうも言われたのでした。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。・・・それを永遠の契約とする。」(同4~5、7)と。

これはまさしくアブラムの「共におられる主」に対に対する追従が、決して中途半端なものではなく、どこまでも完全かつ徹底的服従を伴うものであってほしかったからです。これは「共におられる主」に対する彼の「全き献身」、「全的献身」を、主が彼に要請されたものでした。なぜなら彼がその大いなる祝福を主から受け継ぎ、全世界万民の祝福の基となる尊い使命を遂行するためには、これが不可欠な要件であったからでした。この時、アブラムは、主の御前にひれ伏して、この「全き献身」の要請に応諾しました(同17:3参照)。

この瞬間から「アブラム」の名は、「アブラハム」と改称され、かつアブラハムはその「共におられる主」への「全き献身」の証明として、主から「割礼」を拝受したのでした。ですからこの「割礼」こそ、「共におられる主」とアブラハムとの間に取り交わされた「全き献身契約」に対する、まさに「神的調印」を意味していたと言っても過言ではありません。

のみならずこのアブラハムの「全き献身」が見事に開花し、結実したのは、彼の生涯上のクライマックスの出来事と言っても過言でない、かのモリヤ山の頂で彼の最愛の独り息子イサクを、神への生け贄として主の祭壇に献げると言う、極めて厳かな出来事が起こった時のことでした。主は、突然アブラハムに「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(同22:2)と命じなさいました。こんな惨い不合理な神の要請を、いったい誰が受け入れることが出来るでしょうか。ましておや自分の命よりも優り寵愛していた息子を、誰がどうして応諾できるでしょうか。しかし、アブラハムは何もかもご存知の全能の神であり、しかも何事をも最善以外に成し給わない「共におられる主」が、アブラハムにあえてこれを要請されたのでした。アブラハムは、既にその主に「全き献身」、「全的献身」をした「主の従僕(じゅうぼく)」でした。そこでアブラハムは、主の御心の最善を信じて、直ちに服従し、イサクを連れてモリヤの山に向かいました。ついに目的地に到着した彼は祭壇を築き、燔祭(はんさい)に小羊の代わりに自分の最愛の息子イサクを縛って、祭壇の薪の上に載せました。そして手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとして、まさに刃物を振り下ろそうとしました(同9~10参照)。その瞬間、主は御使いを通してこう言われました。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」(同12)と。

かくしてアブラハムは、見事に主の御声に聞き従い、「全き献身」、「全的献身」を全うしたのでした。そこでこの場所が、末代まで未来永劫に亘り、「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)」とか「イエラエ(主の山に、備えあり)」(同14)と呼ばれる記念すべき聖なる場となりました。

かくしてアブラハムは、「共におられる主」に召され、選ばれ、かつその召された目的と使命をことごとく「全き献身」をもって全うしたのでした。そこでお互いもこのアブラハムのように「共におられる主」に愛され、選ばれ、召された者として、全生涯に亘り、主の御前に「全き献身」、「全的献身」をもって、服従し忠実なキリスト者でありたいものです。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。