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安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(25)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ⑤主イエス・キリストの十字架が、自分の「罪と死と滅びの裁き」からの唯一の救いの道だと信じること。 以上に述べて来たたように、お互い人間は、一人残らずすべて神の聖前に罪を犯した「罪人」であることから、聖書

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(24)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ④お互い人間はすべて神の御前に罪人であることを認め、信じ受け入れること このことはお互い人間の理性と感情をもってしては、容易に受け入れ難いことでしょう。そもそも神の御存在を信じられず、神の御心が何である

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(23)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ③「聖霊なる神」の存在とその働きを信じること さて、更に「ただ信じること」の奥義で重要なことは、「聖霊なる神」の存在とその働きを信じることです。「聖霊」とは、「聖なる神の霊」、もしくは「霊的な神の存在と

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(22)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) その理由は、以下の通りです。 第一に、この信じ難い出来事については、この出来事が起こる遥か以前から、既に旧約聖書の中に明言され、預言されていたからです。預言者イザヤは、主イエス・キリストの母マリヤの処女

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(21)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義 かくして主イエスは、お互い人間の罪を悉(ことごと)く担われ、その全人類の罪の身代わりに十字架にお付きになりました。さて、ここで「ただ信じる」と言うことが、何を意味しているのか熟考してみましょう。そこで先ず初めに、「ただ

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(20)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス かくして主イエスは、お互い人間の罪を悉(ことごと)く担われ、その全人類の罪の身代わりに十字架にお付きになりました。この主イエスの十字架上での御苦しみを通して、お互いの罪は悉く赦され、お互いは義と聖と贖いを受け継ぐ者とされたのでした。ただし、この場合に重要な

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(19)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅳ. 見くびられ軽視されがちな、いと小さな者にも寄り添われた主イエス (2)飼い主のいない羊のように弱り果てている人々を憐れまれた主イエス 主イエスは、日々町々、村々を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えられましたが、それにも増して行く先々で出会う、飼い主のいない羊のように弱りはて、打ちひしがれている人々をご覧になり、彼らを

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(18)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅳ. 見くびられ軽視されがちな、いと小さな者にも寄り添われた主イエス とかく世の人々は相手にするに値しないような、どうでもよい者や邪魔な者には、見向きもせず、かかわりを持とうともしませんが、しかしアガペーの主イエスは、このような一人をも大切にされ、むしろこのような人々とどのようにかかわるかによって、その人の信仰と愛と人格の良質の「

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(17)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅲ. 一般社会から見捨てられ、忌み嫌われていた人々に寄り添われた主 アガペーの主イエスは、当時の一般社会から見捨てられ、忌み嫌われていた人々を深く憐(あわ)れまれ、彼らに寄り添い、彼らの人生に活路を開かれました。 主イエスご在世当時のユダヤ社会では、はき違えられた律法理解と歪められたユダヤ教信仰の悪影響下にあって、当時の民衆は「

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(16)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅱ. 苦悩する人々に寄り添い癒された主 さて、主イエスは四人の若き弟子たちを従えて、いよいよ本格的に湖畔の地、ガリラヤで宣教を始められました。主は日々、ガリラヤ中を巡られ、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えられました(マタイ4:23)。その教えを聞いた人々は、きっとその教えに大きな驚きと共に、喜びを感じたことでしょう。主イエスの教

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