愛による全面受容と心の癒しへの道(79)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

III. アガペーによる全面受容の癒しの道

2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道

■癒しへの具体的な道

⑮人間の本質と尊厳、またわが子の存在価値とその使命とを疑わず信じ続けること(前回に続く)

ちなみに、ここで心傷つき病んでしまったウルトラ良い子たちが、しばしば陥る自己の尊厳と存在価値に関連する二種類の極端な異常症状と言うべきものについて言及しておきたいと思います。

先ず第一は、極度の自己卑下と自暴自棄的自己破綻です。本来、彼らは世俗的価値観になじまない純粋志向型の人間で、物事の本質を求め、決して他者と比較して人間の良し悪しを評価したがらない性質の持ち主だったのですが、しかし長い間の極度の世俗的評価の抑圧に晒されてきた結果、あたかも洗脳された奴隷の如く、自らを世俗の価値観をもって裁くようになってしまうのです。そこには、ただ、極度の劣等感(コンプレックス)あるのみです。もはや彼らは自らの尊厳と存在価値を全く認め得ず、絶えず自らを世俗の価値観をもって厳しく裁き、「どうせ俺なんか何の役にも立たないダメ人間なのだ」「お前たちは俺をろくでなしだと思っているのだろう」「そのうちに俺は、世間をあっと驚かせて死んでやるからそう思え!」と毒づくのです。またある者は引きこもり、人前に出ることを恥じ、  恐れ、やたらと苛立ち、自暴自棄となって物を破壊したり、家人に当たり  散らしたり、風呂にも入らず部屋に立てこもり幾日も過ごしたりする異常  行動をとるようになってしまうのです。まさに極度の自己卑下と自暴自棄  的自己破綻です。ここには、哀れにも自己の尊厳や存在価値を全く認め得  なくなってしまった彼らがいるのです。何と悲しいことでしよう。こうし  た彼らを何としても一刻も早くこのような悲しい状態の中から救出しなけ  ればならないのです。

そこで第二は、極度の自己優越感と激しい他者攻撃です。これまた本来彼らは、他者に優しく他者貢献的な感性を持った人々だったのですが、前述したように極度の世俗的価値観の抑圧に苛まれ続けるうちに遂に自己破綻してしまった挙句の果て、何と今度は極度の優越感を持って自己主張すると共に、他者を誹謗し、徹底的に攻撃するような異常心理、異常行動をとるようになってしまうのです。これは極度の自己過信と言う以上に、もはや妄想症状と呼んだ方が良い状況を呈しているのです。この症状は実は自己を他者より断然上位に位置付けることによって、自分自身の中に存在し、自らを他者よりはるかに劣るものと思わせる心中の敵である劣等感(コンプレックス)を封じ込めようとする自らの心に対する哀れな逆心理的偽装行為に他なりません。こうすることにより彼らはその一瞬だけでも自らを他者より上位に位置付けることによって、自分の心を安息させたかったのです。そこで「世間の奴は誰一人、物の分かった連中はいない。俺はなんでも知っている」「お前らはこんなことも出来ないのか。その癖に俺につべこべ言うな!」「俺は絶対許さない。許してもらいたかったら土下座して謝り、これからは俺の言う通りしろ!」などと、まるで暴力団まがいの暴言を連発することも稀ではありません。とは言え、彼らはこうしたことにより決して自らを癒すことは出来ないのです。のみならず、ますます自らを深みに追い込んでしまう結果にならざるを得ないのです。これまた何と哀れにして悲しいことでしょう。そこでこのような状態から彼らを救い出し、癒す最良の道こそ、「アガペーによる全面受容」の道以外ではないことを改めてこの場面でも強調しておきたいと思います。 (続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復