愛による全面受容と心の癒しへの道(75)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

III. アガペーによる全面受容の癒しの道

2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道

■癒しへの具体的な道

⑭大きなリスクの甘受と大きな自己犠牲こそ受容の王道(前回に続く)

そこで、この“アガペーによる全面受容”に基づく大なるリスクと自己犠牲の甘受による癒しの実例を紹介いたしましょう。以前にもこれと類似の症例を紹介しましたが、このような喜ばしい事例はまさに枚挙に暇がないと言っても過言ではありません。

さて、F子さんは高校1年生でした。すでに中学生の半ば頃から不登校が始まり、のみならずこの子はいずれかと言えば本来は外交的な性格の持ち主であったため、家の中に引きこもったりするのではなく、昼過ぎまで寝ていたかと思うといきなり食事を済ませ、それから日々どこかに出かけて行って、夜になっても家に帰らず、夜中の午前2時頃や時には明け方に家に戻ってくるというような生活ぶりでした。F子さんにはそれぞれ2歳違いの弟と妹がいました。この5人家族の真面目なサラリーマン一家の中に起こったF子さんの出来事は、とりわけ両親にとっては極めて悩ましい出来事でした。中学生の内はそれでも何とかなだめすかしたり、時には父親が強く叱ったりすることで、世間の人々にはそれほど取沙汰されずに来ることが出来ましたが、やがてやっとのことで高校進学が出来たばかりの一学期の半ばで、完全に学校に行かなくなってしまったばかりか、身なりも急にけばけばしくなり、飲酒喫煙も始め、遂には非行仲間にまで加わるようになってしまいました。その結果、何度か警察の御厄介にもなり、両親も何度か警察に出向き、謝罪や取り下げを願わざるを得ませんでした。こうなってくるといやがうえにも周囲の人々の噂にも上るようになりました。それこそ両親の悩みと心痛は並なものではありませんでした。

ところがF子さんの行状はこれだけでは終わりませんでした。ついには高校も当然ながら退学を命じられ、その後まだ高校3年位の年頃で、10歳も年上の男性と同棲生活を始めてしまったのです。父親は激しく憤り、勘当を言い渡し、二度と再び家の敷居をまたがせないと、F子に殴り掛からんばかりの勢いで引導を渡しました。母親はただただどうしてよいのかわからず、悲しみの内にうろたえるばかりでした。

しかし丁度この頃、その母親が友人の紹介で筆者の主宰するアガペー・ファミリー・ケアー・センター(通称AFCC)のセミナーに受講生として来会されるようになりました。そこで母親は、涙ながらにその事情を打ち明けてくれました。かくしてこの日から母親のM夫人は、毎月欠かさず月例のセミナーに通い始めました。かく受講する内に「アガペー」の本質を深く理解するようになり、かつ「アガペーによる全面受容の癒し」の原理と法則に心の目が開かれるようになって、早くも自らの今日までの子育てが根本的に誤っていたことに気づかされ、折しも久しぶりに帰宅していたF子さんに涙を流しながら、手をついて深く詫びました。その母親の真摯に涙ながらに謝罪する姿を目の当たりにしたウルトラ良い子のF子さんは、どんなにか驚いたことでしょう。のみならず、そのような母親の謙虚な姿と態度に、長い間両親の心を支配していた世俗の価値観のゆえに抑圧されてきたF子さんの純粋感性が突然目覚め、如何ばかり感動したか知れません。のみならず、間もなくしてこの母親の劇的な変化を知った夫のM氏もまたAFCCの断続的受講生となり、「アガペー」の何たるかを理解し始め、「アガペーによる全面受容」の頼もしい良き協力者となってくれました。(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復