愛による全面受容と心の癒しへの道(73)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

III. アガペーによる全面受容の癒しの道

2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道

■癒しへの具体的な道(前回に続く)

⑭泣きじゃくる乳飲み子に、乳房を含ませ、優しくあやす母の如く

さて、更にアガぺ―による全面受容を成功させる具体的な道として、時としては、丁度幼子がお腹を空かせて泣きじゃくっている時や、何か怖いことや悲しいことがあって泣きじゃくっている時に、お母さんが乳房を含ませ優しくあやしてあげる時、その乳飲み子や幼子が間もなく泣き止み、無心に母親の乳房を吸いながら静かに眠ってしまうことがあるように、心傷つき病んでいるウルトラ良い子が激しく苛立ち、叫んだり暴れたりしている時、いたずらに怯えたり、その反対に父親や周囲の人々の力を借りてその子を制したりするよりも、むしろ心落ち着けて大胆に母親の広げた腕の中に抱え込み、抱きしめるようにして優しく憩わせる時、何としばらくすると心落ち着き、苛立ちも治まり、穏やかになるというまことに素晴らしい結果を手に入れることが出来ます。子どもがまだ小学生や中学生ぐらいの場合には、この癒し効果は絶妙です。しかし、それ以上の高校生、大学生、更には社会人となった大人にも、基本的には同様の癒し効果のあるものです。ただしその場合は、体格、体力からして母親よりはるかに優る年頃なので、かなりの知恵と工夫が必要となります。

とりわけここで大切なのは“体感できる母親のぬくもり”と言うことです。心傷つき病んでいる者にとって何が一番必要なのかと言えば、心と体の安息と憩いです。泣きじゃくる乳飲み子や幼子にとって母親の胸の内に深く抱かれ、その乳房を吸い付く時、彼らは母親の愛のぬくもりを体感し、身も心も安息し憩えるのです。実に人間は本来この母親の愛のぬくもりの中で育まれ成長出来る時、健常で心穏やかな人格形成を遂げることが可能なのです。のみならず人間は男も女も皆例外なく、どんなに立派に成長し、乳離れはもとよりのこと、親離れできた人間であっても、地上における生涯の最後の一息まで潜在的に、この母親の乳房の中に憩う、愛のぬくもりを人間の心と体の真に憩える安息源として慕い求めているのです。昔から、戦地に赴き戦死する将兵たちが、死の間際で思い慕い、叫ぶ言葉は“お母さん!”だと言われてきましたが、まさしくこれこそが母の胎内で10カ月の間、安全に生命を育まれてきたすべての人間の母を思慕する本性と言えましょう。ですから母は偉大です。

しかし、その母から幼くして早くも抑圧を受け、その母の愛の全面受容はおろか、時には虐待すら受けて育ってきた子どもたち、ましてやウルトラ良い子たちの母のぬくもりを慕い求める渇望は、如何ばかりでしょうか。哀れにも彼らはこの愛のぬくもりを充分受ける暇もなく、世俗の価値観と親の我執の犠牲者となって、あたかも好みの動物を飼育、調教されるかのごとき取扱いに服してきたのでした。このような哀れな子どもたちが癒される道、憩える道、それこそがこの泣きじゃくる乳飲み子を、自らの胸の内に優しく抱き、乳房を含ませ、あやす母のぬくもりなのです。では、この母の愛のぬくもりを体感させる最良の道は何処にあるのでしょうか。それは実に長い間、本書において学び続けてきた“アガペーによる全面受容”の癒しの道だったのです。お互いはすべての心傷つき病んでしまった子どもたち、それが例え大人たちであろうと、既に学んできた“アガペーによる全面受容”と言うアプローチをもって対処し続ける時、そこに母の乳房に憩う乳飲み子体験を彼らに体験させ、母の愛のぬくみを追体験させてあげることが出来るのです。ここに安息と憩い、癒しと回復が起こるのです。これまたしっかりと心に留めて、実践してみようではありませんか!(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復