愛による全面受容と心の癒しへの道(72)

峯野龍弘牧師

第5章 心傷つき病む子供たちの癒しへの道

III. アガペーによる全面受容の癒しの道

2) アガペーによる全面受容の癒しが成されるための具体的な道

■癒しへの具体的な道(前回に続く)

⑩自尊心を傷つけない

⑪感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復

⑫要求に対するプラスα(アルファー)のゆとりある応答

⑬ほのぼのとした、優しく、明るく、温かく、ユーモラスな受容の言葉

さて、次の項目に移りましょう。次に留意すべき具体的な受容の道は何でしょうか。それは「ほのぼのとした優しく、明るく、温かい、ユーモラスな言葉がけ」です。心傷つき病んでしまったウルトラ良い子たちは、この「ほのぼのとした優しく、明るく、温かい、ユーモラスな言葉」に、飢え渇いています。彼らはあたかもこのような言葉に一度も浴したことがなかったかのように、かかる言葉との出会いを渇望しています。きっと彼らにおいてすら、今日までの長い旅路において幾度か両親から、あるいはそれ以外の人々から優しい言葉、温かい励まし、明るく楽しい話題を投げかけられたことがあったに違いありません。しかし、悲しくもそれらの言葉がけは、あたかも皆無であったかのように、彼らの傷ついた病める心には届きませんでした。なぜならそれほどまでに彼らの心は、それ以前に深く傷つけられてしまっていたからです。では彼らの心をそこまで傷つけてしまったのは何故だったのでしょうか。それは言うまでもなく既に詳しく学んできたように、世俗的価値観をもって他人と比較しながら人間評価を下す両親たちの裁く言葉、見下す言葉、また諸々の抑圧につながる言葉がけによったのでした。また何よりもウルトラ良い子の性質に寄り添った良き受容の著しい欠如によったのでした。

「○○ちゃん、またやったのね。あれほどやってはいけないと言っておいたのに!」、
「△△、お前はまだこれをやってないのか。早くやれ!このウスノロ!」
「□□ちゃん、これはこうすべきよ。そうしなければあなたは他者より後れを取るわ。しっかりしなさい。あなたはそれでよいかしれないけれど、こっちが恥ずかしいじゃないの。」

このような禁止・命令・奨励の言葉を小さい頃から日常生活の中で、あたかも洪水のように浴びせかえられて育ったウルトラ良い子たちは、概してこれらの言葉に怯える子どもとなり、これらの言葉に媚びて良い子であろうと自らに強いる子どもになってしまいます。のみならずそうこうしているうちにかかる言葉に強い抑圧とストレスを覚えるようになり、自らに悪いセルフ・イメージを抱くに至り、自尊心が滅失し、親に反感や恨みさえ抱き始めるのです。そのようにまでなってくると親や他人が少々誉めようとも、それさえ皮肉られ馬鹿にされているように邪推するようになってしまいます。その上、普通に話していることが素直に聞けず、それも裁かれていると錯覚してしまうのです。ですからこうした心病み傷ついている子供たちには、裁き、批判する「禁止・命令・奨励」の言葉がけは、絶対禁物です。そればかりではなく強い語調、淡々としたクールな発言、暗い表現、杓子定規の言葉、四角四面の律儀な話は、彼らを緊張させ、憩わせることは断じてありません。いわゆる生真面目な両親や人々は、この点をよくよく知って、対応する必要があります。

それではこれらのウルトラ良い子にどう対応したら良いのでしょうか。そうです、それが「ほのぼのとした優しく、明るい、温かい、しかもユーモラスな受容の言葉がけ」なのです。彼らは真にアガペーされることを望んでおり、アガペーによる全面受容をもって、「ほのぼの」とした心安らぐ、居心地の良い言葉がけをし続けてあげると当初は戸惑いはするものの、彼らの特異な鋭敏な感性をもってその背後にある「アガペーによる全面受容」の心を感知し、徐々に緊張感を解き出し、その言葉に信頼感を寄せるよう変化し始めます。彼らは「ほのぼの」が大好きです。優しさと明るさ、そして温かさに飢えているのです。そこにユーモラスが加味される時、彼らは最高に安心し、嬉しいのです。そこには裁いたり、評価したり、ましておや抑圧やストレスを全く感じなくて済むからです。何よりも今や以前とは全く異なって、両親たちが自分を深く理解し、心から愛し、のみならず尊んでくれていると言うことを感じ取ることが出来るからです。その感じ取った瞬間から彼らの傷つき病んでいた心が癒え始めて行くのです。「ほのぼの」とした優しく、明るく、温かい、しかもユーモラスな言葉がけは、「アガペーによる全面受容」の彼らにとって最も分かり易い認知動作なのです。「論より証拠」と言う言葉がありますが、彼らはこの「ほのぼの」体験を通して、今や自分に対して決定的に変革した両親たちのアガペーの心と生き様を確認し、真に受容されている証拠を見た思いを抱くのです。ですから是非とも「ほのぼのとした優しく、明るく、温かい、しかもユーモラスな受容の言葉がけ」にお励み頂きたいのです。やってみてください。必ず功を奏します!(続く)

峯野龍弘(みねの・たつひろ)

1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。

感謝、賞賛の言葉を豊かに注ぐ 自尊心の回復