愛による全面受容と心の癒しへの道(20)

峯野龍弘牧師

第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因

I. 世俗的価値観

B. 世俗的価値観を構成する恐るべき諸要素
3). 唯物主義、物質主義

さて、第三に取り上げるべき世俗的価値観を構成する恐るべき要素は、いわゆる唯物主義、物質主義と言われるものです。

世俗的価値観に支配されて生きる人々は、概して唯物的で、物質中心主義的人生観や価値観を持って日々生活しています。ですからあらゆる場面で、また諸々の出来事に遭遇するごとに、この人生観、価値観が顔を出してきます。

そこでは常に物事の判断や処理に当たって、その背後にある思いや感情、動機や精神、更には真理や本質というような、いわゆる心の問題が重視されず、目に見える物や金銭、日常生活における衣食住の充足等の問題がいつも重視され、最優先されるのです。

しかもこの考え方と生き方が、何よりも大切な日々交わるお互いの人間関係、とりわけ愛を基として結ばれ、築き上げられていくべき夫婦関係や親子関係の中にまで持ち込まれ、これを唯物主義的、物質中心的な関係に置き換えてしまうのです。そこではお互い人間にとって、特に夫婦や親子にとって極めて大切な心の問題や、精神的安息や、心を培う問題などが中心事とはならないばかりか、軽視されたり無視されたりするようになってしまうのです。そこではいつしか潤いや安息、慰めや憩い、まして喜びや幸せを分かち合える関係は遠のき、世知辛い殺伐とした人間関係ばかりが生み出されて行きます。

こうしたことは、決してあるべき真の関係ではありません。しかし、残念ながら今日の一般社会では、こうしたあるべからざる関係こそが主流を占めてしまっていて、むしろ唯物的、物質主義的人間関係の方が付き合い易く、かつ話し易い共通話題にさえなってしまっています。

ところがここにもウルトラ良い子たちを傷つけ、悩まし、更には彼らを人間嫌いにしてしまい、人間関係不全症候群を引き起こさせてしまう重大な原因があったのです。なぜなら、既に学んできましたように彼らはこのようなことには断じて馴染まないからです。

本来、この事は単にウルトラ良い子ばかりではなく、良識ある人々にとっても同様ですが、通常これらの人々はだからといって、この事によって心悩まし、傷つき、病んでしまうというようなことはありません。しかし、“ウルトラ良い子”たちにとってはそうはいかないのです。彼らは、こうしたことに強い不快感と嫌悪感を覚えるのです。そしてこうしたやり取りに繰り返し遭遇する内に、やがてそれは大きなストレスとなり、不安感、恐怖感さえ覚えるようになり、遂にはトラウマを引き起こし、対人関係不全症候群にまで発展するのです。

そこで是非、読者の皆さんにはよくよくこの点を理解し、彼らの良き擁護者になって頂きたいものです。残念ながら彼らのこのような特有かつ微妙な心理をよく理解し、彼らを擁護して下さる方々の何と少ないことでしょう。悲しいかな、これが今日の社会の現実です。(続く)

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 峯野龍弘(みねの・たつひろ)

 1939年横浜市に生れる。日本大学法学部、東京聖書学校卒業後、65年~68年日本基督教団桜ヶ丘教会で牧会、68年淀橋教会に就任、72年より同教会主任牧師をつとめて現在に至る。また、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会および同教会の各地ブランチ教会を司る主管牧師でもある。

 この間、特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン総裁(現名誉会長)、東京大聖書展実務委員長、日本福音同盟(JEA)理事長等を歴任。現在、日本ケズィック・コンベンション中央委員長、日本プロテスタント宣教150周年実行委員長などの任にある。名誉神学博士(米国アズベリー神学校、韓国トーチ・トリニティー神学大学)。

 主な著書に、自伝「愛ひとすじに」(いのちのことば社)、「聖なる生涯を慕い求めて―ケズィックとその精神―」(教文館)、「真のキリスト者への道」(いのちのことば社)など。