愛による全面受容と心の癒しへの道(47)
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 3) 父親の権威主義とエリート志向、及び母親の虚栄心と羞恥心の狭間に喘ぐ子供たちの抑圧 (3)母親の虚栄心と羞恥心 さて、そもそも父親の権威主義やエリート志向がウルトラ良い子たちの純粋な心を強く抑圧したり、大きく傷つけ、歪めてしまっていると同様に、母親の虚栄心や羞恥心がウルトラ良い子たちの人生を大き
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 3) 父親の権威主義とエリート志向、及び母親の虚栄心と羞恥心の狭間に喘ぐ子供たちの抑圧 (3)母親の虚栄心と羞恥心 さて、そもそも父親の権威主義やエリート志向がウルトラ良い子たちの純粋な心を強く抑圧したり、大きく傷つけ、歪めてしまっていると同様に、母親の虚栄心や羞恥心がウルトラ良い子たちの人生を大き
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 3) 父親の権威主義とエリート志向、及び母親の虚栄心と羞恥心の狭間に喘ぐ子供たちの抑圧 (2)父親のエリート志向 ii. 自らが両親若しくはそのいずれかにより、またはエリート家系の同居の親族たちなどから強い抑圧を被った父親 第二のエリート志向の父親のタイプは、父親自身がその両親若しくはそのいずれか
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 3) 父親の権威主義とエリート志向、及び母親の虚栄心と羞恥心の狭間に喘ぐ子供たちの抑圧 (2)父親のエリート志向 第二の問題は、父親のエリート志向である。既に何度も述べてきたように“ウルトラ良い子”たちや“心の優しい純度の高い性質を持った子供たち”を極めて抑圧し易い重要事が“世俗的価値観”というもの
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 2) 子供の自立心や自尊心を損なう両親の言動が惹き起す諸問題 (2)放任主義 前回に続いてこの放任主義の弊害について、いま一つ付け加えておきたいことがある。それは親から放任され、かまって欲しい時にもかまってもらえず、話しかけ、聴いて欲しい時にも話してもらえず、聴いても貰えないで、ただ放任され続けてい
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地 満3歳頃までの愛による十全な全面受容の欠如 満3歳からの本質的善悪に対する識別力・分別の育成の欠如 真善美、神愛聖、命霊祈、天永滅などの見えざる尊いものへの畏敬心の啓発の欠如 夫婦愛を通じての人間愛の伝授の欠如 尊厳ある父親像と敬虔
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地 (5) 尊厳ある父像と敬虔なる母像の欠如 さて、父母の役割の欠如のゆえの抑圧の素地づくりという点について縷々述べてきたが、この点に関していま一つの点を指摘しておきたい。それは我が子に対する父親の尊厳性と母親の敬虔性についてである。子供たちが成長するに従
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地 (4) 夫婦愛を通じての人間愛の伝授の欠如 さて、父親と母親の役割の欠如の第4番目は、夫婦愛を通して我が子に伝授しなければならない人間愛の学習の欠如である。そもそも父、母は、子供たちにとってこの地上で最初に出会った人間で、しかも同じ血を分け合った掛け替
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地 (3) 真善美、神愛聖、命霊祈、天永滅などの見えざる尊いものへの畏敬心の啓発 iv.天永滅 さて、目に見えざる尊いものへの畏敬心ということに関連していま一つ述べておきたいことがある。それが「天永滅」ということである。これまたいずれも肉眼で認識すること
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地 (3) 真善美、神愛聖、命霊祈、天永滅などの見えざる尊いものへの畏敬心の啓発 iii.命霊祈 さて、ここで更に生まれながらにして純粋で、卓越した、かつ鋭敏な感性をもって世に生を与えられてきた「ウルトラ良い子たち」に、「見えざる尊いものへの畏敬心」を育
峯野龍弘牧師 第3章 ウルトラ良い子の抑圧の最大要因 IV. 両親からの抑圧と諸問題 1) 父の役割と母の役割の欠如による抑圧の素地 (3) 真善美、神愛聖、命霊祈、天永滅などの見えざる尊いものへの畏敬心の啓発 ii.神愛聖 さて、次に重要なことは、「見えざる尊いものへの畏敬心」の第二の類型として、「神、愛、聖」が挙げられる。これこそ人間にとって最も畏敬しなければならない尊い存在で