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信仰生活の羅針盤(2)

峯野龍弘主管牧師 第2章 傲慢と卑屈 神の恵みの中で心と霊魂の解放と自由を得ていない世の人々は、多くの場合、傲慢と卑屈、高慢と自己卑下の両極端の間を行き来する、振り子のような人生を余儀なくされています。しかし、たとえキリスト者と言えども、真に明確な救いと聖めの体験を得ていない人々においては、ほぼ同様なことが言えます。使徒パウロは、このようなキリスト者を「肉の人」とか、「ただの人」と呼んでいます(

信仰生活の羅針盤(1)

峯野龍弘主管牧師 第1章 旧約聖書の箴言に、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」(同19:21)とある。また「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」(同16:9)。更にまた、「人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。」(同20:24)ともある。 ある人々は、こうした真理を容易に認めようとはしない。それゆえ、自分の思

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(25)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ⑤主イエス・キリストの十字架が、自分の「罪と死と滅びの裁き」からの唯一の救いの道だと信じること。 以上に述べて来たたように、お互い人間は、一人残らずすべて神の聖前に罪を犯した「罪人」であることから、聖書

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(24)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ④お互い人間はすべて神の御前に罪人であることを認め、信じ受け入れること このことはお互い人間の理性と感情をもってしては、容易に受け入れ難いことでしょう。そもそも神の御存在を信じられず、神の御心が何である

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(23)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) ③「聖霊なる神」の存在とその働きを信じること さて、更に「ただ信じること」の奥義で重要なことは、「聖霊なる神」の存在とその働きを信じることです。「聖霊」とは、「聖なる神の霊」、もしくは「霊的な神の存在と

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(22)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義(前回に続く) その理由は、以下の通りです。 第一に、この信じ難い出来事については、この出来事が起こる遥か以前から、既に旧約聖書の中に明言され、預言されていたからです。預言者イザヤは、主イエス・キリストの母マリヤの処女

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(21)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス(続き) ■「ただ信じること」の奥義 かくして主イエスは、お互い人間の罪を悉(ことごと)く担われ、その全人類の罪の身代わりに十字架にお付きになりました。さて、ここで「ただ信じる」と言うことが、何を意味しているのか熟考してみましょう。そこで先ず初めに、「ただ

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(20)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅴ. 十字架上ですべての罪人の罪を担われ、贖(あがない)となられた主イエス かくして主イエスは、お互い人間の罪を悉(ことごと)く担われ、その全人類の罪の身代わりに十字架にお付きになりました。この主イエスの十字架上での御苦しみを通して、お互いの罪は悉く赦され、お互いは義と聖と贖いを受け継ぐ者とされたのでした。ただし、この場合に重要な

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(19)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅳ. 見くびられ軽視されがちな、いと小さな者にも寄り添われた主イエス (2)飼い主のいない羊のように弱り果てている人々を憐れまれた主イエス 主イエスは、日々町々、村々を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えられましたが、それにも増して行く先々で出会う、飼い主のいない羊のように弱りはて、打ちひしがれている人々をご覧になり、彼らを

安らかに心豊かな人生を過ごすための道しるべ「主と共に、主イエスに倣って」(18)

峯野龍弘牧師 第5章 主イエスの歩まれたアガペーの生涯の日々 Ⅳ. 見くびられ軽視されがちな、いと小さな者にも寄り添われた主イエス とかく世の人々は相手にするに値しないような、どうでもよい者や邪魔な者には、見向きもせず、かかわりを持とうともしませんが、しかしアガペーの主イエスは、このような一人をも大切にされ、むしろこのような人々とどのようにかかわるかによって、その人の信仰と愛と人格の良質の「